私の人生のターニングポイントは55歳で大学に入学したことです。
それまでは、子育てや主婦をしながらパートに出て、やってみたいことは一応やって、身に着けたことで教室を開いたり、ネットショップをやってみたりしたけれど、どれもうまくいきませんでした。そのたびに、うまくできない自分に対してダメ出しをしたり、責めたりしていました。当然のように、心が満たさせることはありませんでした。
何をやっても満足できないことが続いていたころ、ふと考えるようになったのが、『もし、大学に行っていたら、自分の人生はどうだったろう?』ということでした。つまりタラレバですね。『18歳の私が、進学をあきらめて社会人を選んだことで後悔が残るとするなら、それを変えることができるのが、諦めた夢に挑戦してみること。大学に行くことだ。』と、漠然と考えるようになったんです。
いろいろ迷いましたが、学費は自分で捻出することを条件に、家族も承諾してくれて、晴れて大学生になりました。私は55歳。2011年4月、東日本大震災の翌月のことでした。入学式もなくなり、節電が叫ばれていたころです。
入学するまえから年齢を意識していた私は、4年間で卒業するということを第一の目標に掲げていました。そのためには何か目的を持たなければいけないと思いました。専攻は心理学でした。入学前に大学のパンフレットをみていて、学部卒業時に精神保健福祉士の単位が取れると書かれているのに目が留まり、『ならば、4年後にそれを取ることを目指そう』と決めました。入学後、精神保健福祉士と社会福祉士の国家試験は、共通科目を挟んで一緒に受検できることを知ったのです。そうなると、欲張りの私は一度に2つの資格を取ることに目標を切り替えて、単位取得や実習をこなすためにスケジュール調整しました。
大学は隣県の伊勢崎市にある東京福祉大学でした。池袋や名古屋にもキャンパスがありましたから、日程の都合に応じて、これら3か所に行きました。多くは伊勢崎市でした。もちろん、週3~4日のパートは続けていました(学資は自分で稼ぐことが夫からの条件でしたから)。
1か月の半分以上、主に終末、車に荷物を積んで、高速に乗り、1時間半ほどかけたスクーリングを繰り返しました。1泊2日が多かったですね。時には3泊4日の時もありました。家ではレポートを書き、単位認定の試験に伊勢崎に行く、この繰り返しが、ほぼ3年以上続きました。4年生では、2つの試験取得のための実習もしました。実習場所は大学で見つけてもらった、福祉現場2つでした。
実習ではいろいろな経験をしました。あらためてコミュニケーションについて考えるきっかけになりました。
私は、どちらかというと、人の顔色を見るタイプというのでしょうか。言い換えると、相手が自分をどのように見ているのかが気になるタイプの人でした。自分の発した言葉に対して、相手がどのような反応を示すのかが、とても気になりました。ですから、言葉選びに、必要以上に注意を向けることが多かったです。そのため、ストレートな表現をする相手に対しては、とても苦手意識がありました。頭ではわかっているのですが、心底、相手を信頼することが苦手だったんです。信頼した後の態度の急変とか、ズケズケと自分のデリケートな部分に立ち入ってくるとか、そういうのが苦手でした。
しかし、福祉の現場の経験は、徐々にですが、私のこのような思い込みを気付かせてくれました。ときには自分から相手の中に飛び込んでいく勇気が大事なことを教えてくれました。
今思えば、一般的に、二十歳過ぎくらいの若い学生さんが多く参加する実習に、還暦まじかのおばさん、いやおばあちゃんが参加するのですから、周囲も大変だったと思います。
無我夢中だったんでしょうね、単位を取らないと国家試験を受けることができないので、実習前の授業、実習、実習後の授業を3ヵ月くらいの間で2か所の事業所でお実習をさせてもらいました。この時初めて名古屋キャンパスにも行きました。
そのような4年間を過ごして、2015年3月、社会福祉士・精神保健福祉士の国家資格を取得して、無事に卒業することができました。