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自己紹介第3部 卒業から現在まで

『手に入れると使ってみたくなる。』これも私の性分です。還暦前の私は、次に、ソーシャルワーカーデビューを果たしました。

最初に勤めたのは高齢者支援の現場でした。私とあまり年齢差のない方々の介護や面倒を見るのだから‥‥、周囲の人たちは『この人は何者?なぜここにいるんだ?』の状態だったんじゃないでしょうか。それまで介護の現場に携わったことがないのに、ソーシャルワーカーという肩書だけで福祉業界に入ってきたのだから、周囲の戸惑いはいかばかりのものだったか。今なら想像がつきます。

いろいろなことを言われました。ある職員さんからは、『あなたは一体何ができるんですか?』と言われたことがありました。頑張っても努力しても認められない。出来ないところばかりを指摘される。『ここで私の学んできたこと、経験してきたことを発揮するぞ』と、勝手に思い込んで飛び込んだ私、前途多難な幕開けでした。

『資格を取れば自分の人生は変わるんじゃないかな』、と密かに思って、一生懸命勉強して、国家資格を取ったのに、自己肯定感が上がるどころか下がる一方でした。その現場は、どうしても性に合わなくて、1か月ほどで辞めました。

次の職場は、近隣の地域包括支援センターでした。そこには2年5か月ほど勤めました。ここでもいろいろとありました。それらは、私のよい糧となって、今の私の土台を作っていますが・・・。前の職場と同様なことも経験しました。年齢を口にされると反論できません。『何もわからないので教えてください。』という言葉に対しても、受け取り方は様々です。応援してくれる人もたくさんいましたが、知っているくせに知らないふりをしていると受け取られることもあって、上層部に苦情を言われたこともありました。

この頃の私は、とにかく不安や何かスッキリしないものをいつも抱えていました。『せっかく頑張って取った資格を使って、経験したことのない福祉の業界に入って、自分の人生の終盤をそこで頑張りたい』と思って飛び込んだ現場で、私は孤立し、何かが変わるという期待どころか、自己肯定感をもっと低くして、コミュニケーションの難しさの壁にぶち当たり、どうしたらよいかと迷う日々を送っていました。

このモヤモヤ、苛立ちを何とかしたい。この気持ちを聞いてくれる人がいたら。吐き出させてくれたら、どんなに楽になるだろう。そんなこんなでネットや雑誌を検索する中で知ったのが、マインドフルネスです。

 そのあと1年間、別の包括支援センターで勤務しながら、マインドフルネスをベースにしたコーチンを学び始めました。

コーシングの可能性を信じて、自分の自信を取り戻したくて、コーチングに取り組みました。聞く・聴くことを通して信頼関係を築き、コミュニケーションがスムーズに行えるようになるために、自分なりに努力も重ねました。

 多くの出会いにも恵まれました。それらの繋がりは現在も続いていて、私の大きな励みになっています。EQもコーチングの学びの中で知りました。アドラー心理学の「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎先生のお話を聞く機会にも恵まれました。SuhiLife講座への参加を重ねることで数秘のもつ神秘性と可能性も知ることが出来るようになりました。レイキも知りました。いろいろな経験もして、少しずつではありますが、自分の中の変化に気づけるようになりました。

 これが正に、自己再生のプレセスとでもいうのでしょうか。

私は、現在、フリーランスのソーシャルワーカーとして成年後見人の仕事を受けています。また、某行政の相談員もやっています。このような現場で、多くの相談者の生の声を聞かせてもらっています。

そして、学び続けていたコーチングでは、国際コーチング連盟の認定コーチ資格も取りました。そこでも、多くのクライアントさんと関わることで、エネルギーをもらい、多くの気づきを得て、日々進化し続けることができるようになりました。

私は今、自分らしく生きています。周囲の視線を気にすることもなく、自分の意見を素直に伝えることが出来て、穏やかに過ごせるようになりました。やってきたことは間違っていなかった、と言えるようにもなりました。

自己紹介3部作は、ここで終わりにします。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。